第17回鎌倉同人会講座「頼朝が幾何で造った都市・鎌倉」
   
 秋雨の中、“コロナ禍”がなおも続く10月15日(木)、今年度2回目になる第17回鎌倉同人会講座
   「頼朝が幾何で造った都市・鎌倉」(会員限定)が鎌倉婦人子供会館で開かれました。同人会講座の座学は1年ぶりです。
   講師は、一昨年2月に同名の本を出版された平井隆一さん(工学博士)。鎌倉同人会の会員でもあります。
   会場は“三密回避”でセットし、25名の参加をいただきました。
      平井さんは、幼児期に“満州国”の長春から引き揚げて鎌倉にお住まいになり、小中学校時代を過ごし、大学・大学院では
   化学を専攻。卒業後は石油化学会社の役員
まで務められ、JICAプロジェクトでブエノスアイレスに3年間派遣され、帰国後
   に念願の「鎌倉と幾何学との関係」に本腰を入れて
考察を重ねられています。

   
 第一編 鎌倉と幾何学
 
   「今までの説はいずれも鎌倉が京都を模倣しているはずであるという説で語られている(極端な場合は碁盤目の構造)。
   理系の世界で育った者にとって、これらに対抗する新たな事実を是非見つけたかった…。」
   「頼朝が鎌倉に幕府を開く五代前の先祖である頼義が相模守になった西暦1030年代であり、この頃から幾 何学的に設計し寺社を
   配置していたこと。 頼朝が鎌倉に入り(から)わずか5日後には現在の鶴岡八幡宮や若宮大路の配置を決めたのも、すでにあった
   都市づくりの基礎を利用したのではないか…。」
   「四基点の設定:①瑞泉寺の奥の“天台山”、②扇が谷の寿福寺、③材木座の元八幡、④旧鎌倉郡の逗子の岩 殿寺。
   そして浄明寺の衣張山、十二所の明王院、二階堂の杉本観音、長谷観音の点と点を結ぶ位置関係の幾何学的な意味は‥。」

 第二編 鎌倉大仏  

   「源氏の血を引く九条道家が鎌倉の西に幾何学的に大仏を配置したことも読み取れる‥。」
   
そして、おしまいに、 「頼朝の幾何学を使った都市造りの実施に際して、奈良時代(鎌倉郡衙)から鎌倉に存在した既存の街並
   みを壊す
こともなく、若宮大路、その他の寺社などを配置しており、現代流に表現すると「エコによる都市造り」を行った」と
   結ばれました。

  配置図添付
   
こちらを参照してください

                             平井隆一講師             開会挨拶                  受付         

          
                               出席者                        質疑応答        



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